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大崎善生『パイロットフィッシュ』
内容が面白い小説というのはいくつもありますが、大崎善生さんの『パイロットフィッシュ』という作品は、久しぶりにフレーズでやられた小説です。「人は過去の記憶から逃れて生きていくことは出来ない」という内容の書き出しから始まる小説ですが、その次に中年の主人公に対して高校時代の友人がかけてきた電話の内容が強烈でした。
| 「二十歳の頃は俺もお前も生意気だった。働いたり金を稼いだり地道に生活することをどこかで軽蔑していた。だから、酒場でサラリーマンや学生をよくバカにしたよな。そのときは、そんな罵倒の言葉を二十年後に覚えているなんて思わなかったさ。時とともにきれいさっぱり忘れ去っていると思いこんでいた。それが今になって自分を苦しめる。それから逃れるために俺は毎日酒を飲むんだ。二十年前に人を小バカにし、傷つけるために吐いた自分の言葉から逃れるために」(p.11から引用。文中数回の中略あり) |
大学を卒業後、優秀なサラリーマンとして活躍していたにも関わらず、突如酒におぼれて道を踏み外す友人の言葉です。このフレーズにはやられました。ここだけでも読む価値があった小説だと思います。この友人を苦しめていたのは、昔は馬鹿にしていた地道な生活を歩んだ現在の自分に対する過去からの自己否定でしょう。
就職活動をしている時、「昔は馬鹿にしていたサラリーマンって偉いんだなと実感した」なんて言葉をよく聞いたわけですが、サラリーマンというのは一般的な職業のため、スポーツ選手やアーティストなど“特別な職業”の人と比べると否定的な見方をされがちです。それは身近だからこそ、どんな職業にもあるはずの格好の悪い部分までよく見えてしまうのが原因だとは思うのですが、それはともかくとしても誰しも過去に“なりたい自分”、そして“なれなかった自分”というのがいくら現状に満足していてもあるわけで、それから逃れられないとしたらこれ以上の不幸はないですよね。
その友人には、記憶と共存するのではなく、記憶を追いつめそれと戦おうとしたためにバランスを崩したわけで、水槽の生態系を決定づけるパイロットフィッシュのような存在が彼になかったために、立て直しに苦労されられた形になりました。一方で主人公は過去の記憶と向き合おうとします。記憶と他者との関係について考えさせられた本です。非常に読みやすいので是非とも目を通してみて下さい。
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